大教会青年のお話

日々の出来事や、気付きを投稿していきます

279日目

 こんにちは!お久しぶりです🙇

 

 

 先日のお話当番でさせていただいた話を投稿します。

 

 

 テーマ

 『人が喜ぶことを何か一つしてみよう』

 

 

 人が喜ぶことをさせていただいた時によく起こるのが、『良かれと思ってしたのに相手を怒らせてしまった』という結果?です。

 

 

 この時に大事だなと思うのが、1つは『相手が喜ぶだろうと思ってしたことがかえって不足させてしまうこともある』ということ。もう1つは『その時に、相手が喜ばなかったことを不足に思わない』ということ。最後にあげるのが最も大切だと思うのですが『相手が喜ばなかった事を自分に置き換えてみる』ということだと思います。

 

 

 1つ目は言葉の通りなので説明を省きます。2つ目は、『その時に、相手が喜ばなかったことを不足に思わない』ですが、ここで「なんで〇〇してあげたのに怒られなあかんねん」ですとか、「素直じゃないなぁ、ありがとうくらい言えへんのか」とか思う心は違うと思います。しかし、僕らも人間なのでどうしてもそう思ってしまう時があります。それでも、喜びにかえることが大切です。「もっとこうしたら喜んでいただけたのかな」とか「あぁ、あの時の言葉や態度が良くなかったのかな」と思案させていただき、自分が喜べることが必ずしも相手が喜べることとは限らないとしっかり理解しなければ本当のおたすけにはならないのかもしれません。

 

 勿論、そのたすけたいという真実の心は神様に受け取っていただけると思いますが。(そう思いたいです笑)

 

 

 最後に挙げたのが『相手が喜ばなかった事を自分に置き換えてみる』ですが、『世界は鏡』とお教えいただきます。目の前の方の喜こべていない姿は、もしかしたら以前の、または前生の自分の姿なのかもしれません。現在の自分はそこで喜べるように成人できているのでしょうか。同じような態度を人に取ってしまっていないでしょうか。もしそうなら僕はすぐに神様にお詫びします。そして喜びに変えたいです。また同じことを繰り返してしまった時に、もっと早く神様にお詫びし、喜べるように。

 

 

 教祖は

 「日々は喜んだ通らしてもらうのやで」

 「喜べないような日もあろう。喜びにかえて通らせてもらうのやで」

 と、仰っています。

 

 喜べない日もあろう、と仰る。ということは、人間なんだから喜べない日だってあるよと励ましてくださっているように感じます。そして、そんな日も喜びにかえてくれと仰っています。喜びに変える作業が大事なんだと思います。たとえその瞬間喜べなくても喜びに変える努力をするんです。

 

 そうすると、次第に喜べる日や喜べる事が増えていくと思います。喜びに変わる瞬間が早く訪れるようになります。それが心の成人なのかなと思案させていただきます。他にもたくさんの成人へ向かう方法はあるかと思いますが、僕なりに思案させていただきました。

 

 

 言葉が足りないところがたくさんあり、拙い文章かと思いますが皆様の広い心でお許しください😁