751日目
こんばんは!本日は御本部月次祭でした!ありがたい!
おぢばでつとめられる月次祭では素敵な再会が沢山ありますね。本当に元気をいただけます。もっとやる気出そう。笑
本日の夕づとめ後、自転車で詰所へ戻っていると見たことのある横顔がありました。
尊敬している恩師でした。本人には恩師だなんておこがましくて言えませんが、修養科の時に出会った素晴らしい先生です。
会話の中身は事細かに書けませんが、僕がぽつりぽつりと言った一言一言に対して素晴らしい瞬発力で僕の欲しい言葉をかけてくださる、もう何というかすげえ人です。めちゃめちゃ元気もらえました。ほんとすげえです。
なんであんなに自信満々に会話ができるんだろう?答えはすぐに分かりました。
「神様にもたれ切ってない証拠だよ!」
これです。先生は神様にもたれ切っている。僕は未だ人間思案真っ最中。この差だと思いました。先生の言葉には、それを裏付ける最強の神様がいました。
『神様にもたれ切ってない』この言葉は衝撃でした。何も心配いらないのです。全ては神様のおはたらきです。
文章がめちゃくちゃですが、26日のおぢばでとても元気をもらったということをお伝えしたかった。それだけです。笑
いつになるかは分かりませんが、また次の記事でお会いしましょう。最後まで読んでくださりありがとうございました!
744日目
皆様、お久しぶりです。大教会青年兼、一年講師の有川です。よろしくお願いいたします。
1年ぶりくらいに記事を書きます。話すことはそんなに無いのですが、最近感じたことを書きたいと思います。
僕の心は高いです。常に。相談されても自分の話をしてしまい、結果自分だけが気持ち良くなってるような心です。そんな僕の前にある1人の男の子が現れました。
その男の子は僕より20歳も若く、僕の80倍くらいエネルギーのある、暴れ馬です。人の道を外れたこともある、僕の苦手なタイプの男の子です。めちゃくちゃ偉そうです。傍若無人です。
でも、とても純粋です。とても愛嬌のある顔で笑います。今では『本当にそんなことしてきたんだろうか?』と思わせるくらいです。この間はおさづけを取り次いでいました。びっくりです。はじめはとっても苦手な子でしたが、今ではちょっぴり苦手な子になりました。
その子への見方が変わったのは、神殿でおつとめをしている時でした。
相変わらず心の高い僕は、深々と拝をし、『いつも高い心で申し訳ありません』とお伝えしつつ、日頃の感謝を述べて、おつとめをします。そんな時にふと気付かせていただきました。
『彼は自分だ』
彼を偉そうだと思う僕の心は、その彼を超えて偉そうでした。そう気づいた途端、彼への見方がぐるりと変わりました。するとどうでしょう。彼の言葉や態度、とても偉そうなように見えますし、実際偉そうではあるのですが、彼なりの配慮があるように感じました。
日々の彼を見ていると、僕らからすれば当たり前だと思うようなモラル、礼儀を知らない彼は、しかし彼なりに頑張っていました。彼なりに精一杯頑張って、今の環境に合わせようとしています。彼は頑張ってました。
最初から、固定観念、色眼鏡で彼を見ていた僕の心はとても偉そうで、彼のことを素直な心で見ようとしていませんでした。心が高いところにあったのです。申し訳ない限りです。
神殿でそのことに気づけた感謝とお詫びをいたしました。ありがたい、申し訳ない。
おぢばとは色々な方を引き寄せ、お見せくださる。本当にありがたい場所です。ありがとうございます。
三ッ みなせかいのむねのうち
かゞみのごとくにうつるなり
498日目
皆さん、こんばんは🌇お久しぶりです。久しぶりすぎてログインID忘れてしまってあたふたしました笑
今日ですが、ある方にお仕込みをいただきました。
「年上の方や目上の方、教会の会長さんとかに偉そうな話し方をするな。そんな風に教えてもないし育てたつもりもない。わしは普段そんな話し方をするか?絶対にしない。誰の影響でそうなったんや?子供にも悪い影響を与えるで。」
といった内容でした。その瞬間、私は
「自分はどれだけ偉そうやねん。敬語を使うとことそうじゃないとか分けてるつもりやし、相手との関係性も知らんのに、その場面だけ見てそんなこと言うなよ。自分の価値観押し付けんのやめろ。」
と、心に思い、そのお仕込みを全く受け入れられませんでした。その感情を夕ご飯の頃まで引きずっており、ご一緒した神殿当番の先生にこんな質問をしました。
「四下り目の一ツ、『ひとがなにごといおうとも かみがみているきをしずめ』って、どんな場面でも当てはまりますか?解釈の仕方次第でかなり自分に都合の良い使い方もしてしまいませんか?」
と。これは、少し『良いんだよ』って言って欲しい反面『あかんやろなぁ』って思いながら聞いてます。すると当番先生は、
「なんでそんなこと聞く?何かあった?」
と、察してくださり、お仕込みの件を話しました。話を聞いた当番先生は、
「『きをしずめ』は、まず自分に言われてると思う。今の清司は冷静になれてないから、『きをしずめ』は当てはまるかもね。それと、心が高いっていうのは、偉そうという意味だけじゃなくて、相手を立てれてないって意味もあるよ。例えば、清司が普段仲の良い年上や目上の方にタメ口で話して、その相手が『仲良くしてくれてるなぁ』とか、『面白いなぁ』と受け取っていたとする。もちろん子供の頃からの関係性もあるだろうけど、その相手は清司を立ててくれてそう受け取ってくださってるんだよ。相手が『偉そうな清司』を受け入れてくれてるから初めてその関係性が成り立っている。だから、その関係性を知らない人や、普段から礼儀を重んじている人から見れば、清司は『ただの偉そうなヤツ』に見えるんじゃないかな。そのお仕込みをしてくださった方が、清司の話し方や態度を見て偉そうだと思って腹を立てたりされてたら、それは清司の態度でその方や周りの方を不足させてる。」
というようなお話をしてくださいました。(もう少しわかりやすく話してくださったと思います🙇)
私は聞きはじめこそ『また俺が悪いんか』と思いながら聞いておりましたが、話を聞くにつれて段々冷静になっていきました。全く周りの方を立てて通れてなかったなと反省しました。
私がこれから急に話し方を変えたら、気持ち悪いと言う方もいたり、今まで通りで良いよと言ってくださる方もいらっしゃるでしょう。それはそれとして、TPOは弁えるべきだったと思います。色々な方が集まってひのきしんしている等の、いわゆる公の場とプライベートな空間は分けるべきでした。(当たり前のことに35にもなって今更気付いてるよと、文章を打ち込みながら反省。笑)
思えば、子供の頃から周りの会長さん方を、聞いて覚えたあだ名で呼んで、親に〇〇先生でしょと、怒られてたなぁと思い出しました。その頃からなにも成長してないですね。
もっと色々良い話を聞いたのですが、上手く書けません笑
これからも心の成人頑張ります。ありがとうございました😊
434日目
こんばんは!本日は、車の送り等色々御用させていただきました!ありがたい!
大教会に来て、諸先生先輩方また仲間からお話を聞く機会が多くあり、そこで教えていただいた"素手トイレ掃除"を事ある毎にさせていただいております。
曰く、「かなり効く」とのこと。
最近、素手トイレ掃除にも慣れてきておりました。そして、ある近しい方の身上を見せていただいた時の素手トイレ掃除中にふと思いました。
「よっぽど自分の心の方が汚いな」
素手トイレ掃除をやり始めた頃は、『なんて汚い』と思いつつも、色々な方からいただいたアドバイスで奮い立たせて素手トイレ掃除をしておりました。その頃のことを思い出し、ふと思ったのです。
トイレと向き合った時は、目に見える汚れが目立ち汚い印象が強いです。見えない裏側なんかも皆様ご存知の通りめちゃくちゃ汚いです。『素手でなんてとんでもない』と思われる方も多いでしょう。
では、自分の心と向き合った時はどうでしょう?自分では一生懸命通らせていただいていても、客観的に見た時に我が身勝手な心遣いが分かります。心の汚れもトイレと同じです。目に見える汚ればかりではなく、目に見えない汚れも多くあります。
そこで神様は気付かせてくださるのです。身上を通して、人を通して、口を通して、目を通して、色々手を心を尽くしてお見せくださっています。そこに気付けるかどうかが肝心です。
久しぶりのブログ更新で覚えていらっしゃらない方もいるかと思いますが、このブログで再三お話ししている通り、いつでも親のメッセージに気付ける心でいなければならないと思っています。自分の心が汚いと思った僕は、その心を忘れかけていたようですね。気付かせていただきました。
なぜそう思ったのかはさておき、お伝えしたい大切なことは、まず喜ぼうとする心。その心で通ると、色々な出来事に対してどう喜べば良いのか考えるようになります。そうすると、どんな小さなことでも神様からのメッセージだと思って受けられる心になってきます。そう思います。
それは"心の成人"にきっと繋がります。
ありがとうございました☺️
341日目
こんばんは!本日は色々しました!笑
ありがたい!
先日、お話当番でしたので投稿いたします。その日のテーマは『素直にごめんなさいと言おう』でした。
『素直は、神も好けば、人も好く』というお言葉があります。そのお言葉から思案すると、確かに自分自身素直な人は好きだなぁと思います。好感が持てますよね。人に好かれる人は、人を喜ばせる人だと思います。それは神様も可愛がってくださることでしょう。
そこから更に思案すると、素直な心遣いは神様にも受け取っていただきやすい心だろうなと感じます。
心通りの守護と聞かせていただきます。素直な心遣いの人はそれだけで素晴らしいおはたらきをいただけるのだろうなと思います。必要に応じてお与えいただけるのでしょう。心遣いが捻くれたり、素直でないと、その心通りに身上や事情に表れてくるのかもしれません。
日々の心遣い1つで、神様も好いてくださり、人にも好いていただける。素直な心で、より一層神様に使っていただけるよう成人させていただきたい。
本日も1日ありがとうございました!
339日目
おはようございます!本日は日直つとめさせていただきます!ありがたい!
今日は小型家電のゴミの日で、近くの公園でゴミを集めてくれています。この日は自転車も捨てられるので、今朝自転車を2台軽トラに積んで運びました。🛻🚲💨
10分程度で運び終わり、自室に戻ると雨が降り始めました☔️その時『雨に濡れずに自転車運ばせていただく御用ができてありがたいなぁ』と思いました。
同時に『自分に都合の良いことでしか喜べていないな』とすぐに考えを改めました。
今回のことはありがたいと思って良いと思います。間違っていません。ただ、これまでとこれからを見たときに、あまりに勝手な"たんのう"をしていたことに気づき、反省いたしました。
ここで"たんのう"するのであれば、まず御用がありがたいと思うこと。使っていただけたことに感謝すること。また、この御用によって喜ばれる方がいらっしゃることをありがたいと思うこと。そうすると自身も喜べますね。
足が動くこと、手が動くこと、挙げればキリがないですが、ブログを通して心を文字にすると意外と喜べます。本当にありがたいと思えます。文字にすると、そう思えている自分を励ますことができます。精神安定剤とまでは言いませんが、これで良いと思えます。
まだまだ成人の足りない僕です。これで良いとここで納得して止まるわけにはいきません。3歩進んで2歩下がる、時には立ち止まる、日進月歩な僕を神様は喜んでくださるでしょうか。
毎度、同じような内容のブログになって申し訳ないのですが、僕の成長を感じられないと思われるかと思いますが、どうぞお付き合いください。笑
本日も1日よろしくお願いいたします😁!
330日目
こんばんは!本日は、鼓笛練習日でした!ありがたい!
最近、お詫びは多いものの喜べる瞬間も増えてきたなと感じる日々なのですが、ここに来て不足の連続。神様は見抜き見通しですねー💧
思い返すと、喜べる瞬間は自分に都合の良いものだったように思います。ありがたいと思えることも自分に都合の良い時だけでした。たんのうとは程遠い。反省です。今日の夕づとめはお詫びお詫びでした。
ポジティブに捉えると、もしかしたら神様からのお手入れ?お手引きだったのかもしれません。「最近喜べるようになってきたな、ならこれはどうや?」と言わんばかりのたくさんの出来事。心の成人を促すありがたい親心ですね〜!ありがとうございます✨
何事も、もっと素直に、はたはたの方々を楽にする働き、"側楽働き"をできるように、尚一層喜べるように成人いたします。
本日も1日ありがとうございました!