大教会青年のお話

日々の出来事や、気付きを投稿していきます

498日目

 皆さん、こんばんは🌇お久しぶりです。久しぶりすぎてログインID忘れてしまってあたふたしました笑

 

 

 今日ですが、ある方にお仕込みをいただきました。

 

 「年上の方や目上の方、教会の会長さんとかに偉そうな話し方をするな。そんな風に教えてもないし育てたつもりもない。わしは普段そんな話し方をするか?絶対にしない。誰の影響でそうなったんや?子供にも悪い影響を与えるで。」

 

 といった内容でした。その瞬間、私は

 

 「自分はどれだけ偉そうやねん。敬語を使うとことそうじゃないとか分けてるつもりやし、相手との関係性も知らんのに、その場面だけ見てそんなこと言うなよ。自分の価値観押し付けんのやめろ。」

 

 と、心に思い、そのお仕込みを全く受け入れられませんでした。その感情を夕ご飯の頃まで引きずっており、ご一緒した神殿当番の先生にこんな質問をしました。

 

 「四下り目の一ツ、『ひとがなにごといおうとも かみがみているきをしずめ』って、どんな場面でも当てはまりますか?解釈の仕方次第でかなり自分に都合の良い使い方もしてしまいませんか?」

 

 と。これは、少し『良いんだよ』って言って欲しい反面『あかんやろなぁ』って思いながら聞いてます。すると当番先生は、

 

 「なんでそんなこと聞く?何かあった?」

 

 と、察してくださり、お仕込みの件を話しました。話を聞いた当番先生は、

 

 「『きをしずめ』は、まず自分に言われてると思う。今の清司は冷静になれてないから、『きをしずめ』は当てはまるかもね。それと、心が高いっていうのは、偉そうという意味だけじゃなくて、相手を立てれてないって意味もあるよ。例えば、清司が普段仲の良い年上や目上の方にタメ口で話して、その相手が『仲良くしてくれてるなぁ』とか、『面白いなぁ』と受け取っていたとする。もちろん子供の頃からの関係性もあるだろうけど、その相手は清司を立ててくれてそう受け取ってくださってるんだよ。相手が『偉そうな清司』を受け入れてくれてるから初めてその関係性が成り立っている。だから、その関係性を知らない人や、普段から礼儀を重んじている人から見れば、清司は『ただの偉そうなヤツ』に見えるんじゃないかな。そのお仕込みをしてくださった方が、清司の話し方や態度を見て偉そうだと思って腹を立てたりされてたら、それは清司の態度でその方や周りの方を不足させてる。」

 

 というようなお話をしてくださいました。(もう少しわかりやすく話してくださったと思います🙇)

 

 

 私は聞きはじめこそ『また俺が悪いんか』と思いながら聞いておりましたが、話を聞くにつれて段々冷静になっていきました。全く周りの方を立てて通れてなかったなと反省しました。

 

 

 私がこれから急に話し方を変えたら、気持ち悪いと言う方もいたり、今まで通りで良いよと言ってくださる方もいらっしゃるでしょう。それはそれとして、TPOは弁えるべきだったと思います。色々な方が集まってひのきしんしている等の、いわゆる公の場とプライベートな空間は分けるべきでした。(当たり前のことに35にもなって今更気付いてるよと、文章を打ち込みながら反省。笑)

 

 思えば、子供の頃から周りの会長さん方を、聞いて覚えたあだ名で呼んで、親に〇〇先生でしょと、怒られてたなぁと思い出しました。その頃からなにも成長してないですね。

 

 もっと色々良い話を聞いたのですが、上手く書けません笑

 

 これからも心の成人頑張ります。ありがとうございました😊