大教会青年のお話

日々の出来事や、気付きを投稿していきます

154日目

 おはようございます!本日は色々と外へ出て色々と私事をしてきます!ありがたい!

 

 

 最近ふと思ったのですが、ちゃんとおつとめをつとめられていない!

 

 

 というのも、今までは参拝者だったのが現在はおつとめ奉仕者?です。神殿に訪れておつとめをする側だったのが、教会に住み込んでおつとめを奉仕する側になりました。

 

 

 何が違うんだ?と思われるかと思います。何も違わないんです。そう。違ってはいけないのだと思います。

 

 

 ただ、僕の心が成人していないがためにちゃんとおつとめできていない、それだけなんです。

 

 

 上段で鳴物を打ち鳴らしながらおつとめすることに慣れていないせいか、今までのおつとめと心の内が違ってます。おつとめ自体に集中できていないというか、鳴物を間違えないよう懸命につとめているというか。

 

 

 勿論、感謝の心は忘れずつとめておりますので、鳴物のそれも良いことだと思うのですが。感覚が伝わるでしょうか。

 

 

 最近、たまに1人で参拝場でおつとめをすることがあります。これがなんとも清々しい。とても良い。ただ、おつとめに専念できているその時間がありがたい。おてふりをしておつとめをすると心が澄んでいくような気持ちになります。気持ち良いです。

 

 

 上段に上がって、鳴物を打ち鳴らし、おつとめをつとめることがほこりを払うことにならないわけがありません。しかし、実際にお手を振ってほこりを払う動作をすると、なんとも言えない感覚になります。

 

 

 毎朝9時にはお願いづとめをさせていただいておりますが、そのおつとめも人のためであって、自分の心が掃除されていないわけではないのですが何か足りない。

 

 

 結局は僕の心が成人していない、それだけのことなんだと思います。どんなおつとめにしろ、心澄ませて、感謝の心で、勇んでつとめさせていただく。これができていない。それだけのことのような気がします。

 

 

 まだまだ未熟な青年ですが、皆様これからもよろしくお願いいたします!

 

 

 本日も1日ありがとうございました!