大教会青年のお話

日々の出来事や、気付きを投稿していきます

120日目

 おはようございます!本日は神名流しをする予定となっております!ありがたい!

 

 

 「神さんの信心はな、神さんを、産んでくれた親と同んなじように思いなはれや。そしたら、ほんまの信心が出来ますで」 

 逸話篇 百四

 

 

 昨日の読み物で、逸話篇を読ませていただいた時に思いました。このフレーズは何度も耳にする事があり、頭では理解していたのですが、昨日読みながら改めて『これはとても大事なんだ』と気付かせていただきました。

 

 

 僕自身、教祖は親のように思えて、教祖殿で参拝させていただく時も、色々とご報告させていただいたり、相談させていただいたりします。

 

 

 親神様を産んでくれた親と同んなじように、頭では分かっていましたが、ではそう接しているかというとそうではありませんでした。当たり前かもしれませんが、やはり神様。親のようにというのはいささかおこがましく感じ、恐れ多いです。

 

 

 僕は親に失礼な態度を取ります。親だからこそなのかもしれません。親神様にそんな態度は取れません。親の事は尊敬しています。

 

 

 態度云々ではなく、その心が大事という事でしょうか?そう考えると、親への態度や言葉も大事な気がしてきました。親神様に対する心の向きや態度は、そのまま親にも通ずるところがあるのかもしれません。

 

 

 親を信仰するのは全く違いますが、親神様に対するその心や態度は、親に反映してみても良いのかもしれません。親に対して素直になり、親に喜んでいただく、その心が大事なのかもしれません。

 

 

 何度も聞いたこのフレーズを、三年千日を歩ませていただくこの時旬に改めて気付けた事は、紛れもなく神様からのメッセージのような気がいたします。改めて、産んでくれた親のように思い、信心してみたいと思います。

 

 

 本日も1日よろしくお願いいたします!