大教会青年のお話

日々の出来事や、気付きを投稿していきます

40日目

 こんばんは!本日は日直をつとめさせていただきました!暑かったですね〜!

 

 

 今日はみちのこひめくりカレンダーのお話当番でした。カレンダーのタイトルは「自分の周りのありがたいを探してみよう」でした。

 

 本文にもある通り、この世の中はありがたいことで溢れています。しかし僕自身もそうですが、毎日毎時毎分ありがたいと思えるかというとそれはなかなか人間には難しい事だと思います。タイトルには「ありがたいを探す」と、あります。大教会長様もいつも仰っていますが、探すというよりも何事もどんな小さなことでもありがたいと思える心づくりをしていくことが大事だと思います。ありがたいと思えるような心で通る、そうすると自然と小さな事でも喜び感謝できるようになるのではと思います。

 

 このようなお話をさせていただきました。この話を受けて大教会長は、

「心づくりは勿論大事。やけどそれと同時に、不足をしてしまうような事を目の当たりにした時にいかに喜びに変えられるかという心も大事。ありがたい事を感謝するのは勿論、喜びにくい事でもどうしたら喜べるか、感謝できるか考えるような通り方をしていただきたい」

と、このようなお話をしてくださいました。

 

 

 少し話は変わりますが、僕は高校入学まで身長が140cmありませんでした。異性の同級生にはいつも可愛い可愛いと言われ、思春期の僕にはとてもしんどい時間でした。勿論好きな子に告白なんか出来ませんでしたね。マスコットのような扱いでしたので。

 

 ただ、今ではこう思います。可愛いと言われるのも喜べたんじゃないかな、と。今だからこそこう思えるんですけどね。34歳にもなって可愛いなんて言われることはありません。当時を思い出すと悪くなかったなと思えます。可愛いことは長所だったと思うんです。

 

 思い返して後悔などは致しませんが、少しもったいなかったかな?とは思います。

 

 この心は今でも持てると思うんです。自分が言われて嫌な言葉ってあると思います。カンに触るとか、嫌味な言い方するとか、そう思うんではなくて、そこでいかに喜べるか、ありがたいと受け取れるか。これはにをいがけにしても大切なんだと思います。

 

 にをいがけ中には冷たい態度や言葉を多く聞くかと思います。しかしその言葉や態度から如何に喜べるか、そういう心で一軒一軒回らせていただきたいです。教祖のお供をさせていただいているんですから、喜べることしかないはずです。

 

 何事もたんのうして通らせていただきたいですね。本日も1日ありがとうございました!